伊崎の快活日記。

広島の大学生。料理や文学が好き。

【書評】『倒れない計画術』

何年か前にテレビでよく見かけた、メンタリスト・DaiGo。

人の心を読む”メンタリズム”を駆使して、手品のようなショーを見せていたのが印象的でした。

 

 

そんなDaiGoさん、ここ数年はyoutubeや出版をメインに活動されているみたいです。

 

本屋さんに行くと何冊も彼の書籍が平積みされており、彼の人気が衰えていないことが分かります。

 

今回ご紹介する『倒れない計画術』も人間の心理を応用した本です。

 

『倒れない計画術』の考え方

ついついダラけてしまう私達

ビジネスマンでも、専業主婦でも、事業化でも、計画力は必要です。

自分のやるべきことを把握し、それをしっかり実行するには計画が必要です。

 

しかし、いくら計画を作ってもなかなか思い通りには進まないもの。

 

気づけばスマホ見てた・・・なんてことは日常茶飯事。なんだか気分が乗らない日もあります。

 

人間だから仕方ないですよね。

僕もそういう日あります。(大学生なんてそんなものかも?)

 

カンペキであることを諦めた計画術

しっかりした計画を立てて、それをしっかり遂行する。

そんなストイックな人間が、デキる人間の条件。

 

そうでしょうか?

 

『倒れない計画術』は、カンペキでない人間の性質をよく理解して、その欠点を心理学や脳科学で補うというコンセプト。

 

だから、極端な言い方をすれば、ダメ人間であることを前提にした計画術なんです。

 

 

牡蠣飯の日の献立。

三月になりました。

 

広島では「牡蠣は2月まで」と言われるそうですから、少しだけ三月に足を突っ込んだ時期にはなったけれども、牡蠣を食べることにした。

 

今回は牡蠣飯。

牡蠣の食べ方は、カキフライをはじめいろいろあるけれど、揚げ物をついつい避けてしまった。

 

それでももちろん、牡蠣飯も十分すぎるほどおいしいので、別に問題はない。

 

牡蠣飯の拡大写真

牡蠣飯。

 

牡蠣飯の作り方

炊き込みご飯は肉や魚で何度も作ったことがあるけれど、中でも牡蠣飯は特殊だと思う。

 

牡蠣のうまみをご飯に吸わせる必要があるにも関わらず、一緒に炊き込むと牡蠣が縮んでしまう。

 

そこで、牡蠣を事前に加熱しておき、その煮汁でごはんを炊くことにした。

こうしておけば、牡蠣の身を縮めることなく美味しい牡蠣飯に仕上がるはずだ。

 

まず鍋に牡蠣と調味料を加える。

調味料は米2カップに対し、

  • 酒・・・大さじ4
  • 醤油・・大さじ1

で、ちょうどいい味になった。

 

牡蠣は豪勢に10個使った。

 

牡蠣を酒煎りする

牡蠣を酒煎りする。

 

これを火にかけ、牡蠣に十分火が通ったら、身が縮む前に牡蠣を別皿に撤収する。

鍋に汁が残っているから、この汁を米と同量、2カップになるまで出汁を注ぐ。

 

こうしてできたスープは牡蠣のうまみをたっぷり含んで、とても芳醇な香りを放っている。

 

これで、ごはんを炊くわけだ。

 

献立

牡蠣飯

ご飯が炊けて来たら、蒸らしに入る。

蒸らしのタイミングで牡蠣も一緒に入れる。

 

少し遅れて、青ネギも振り入れる。

青ネギは茶碗によそってから散らしてもいいけれど、ごはんと一緒に蒸らすことでカドが取れて、一体感が出るのでそうするのが個人的な好みだ。

 

味噌汁

牡蠣飯に使った出汁の余りをそのまま使って、味噌汁を作る。

具は白菜と玉ねぎ、わかめ。

冷蔵庫にあった野菜をなんとなく入れただけで、いつもの味だ。

 

梅と大葉の冷ややっこ

味が強い牡蠣飯を献立の中心に据えるから、副菜はあっさりした冷ややっこにした。

ただ、ねぎは牡蠣飯に混ぜ込みたかったので、豆腐に青ネギを散らすのは芸がなく感じた。

 

そこで、梅干しと大葉を、薬味に添えた。

 

ししゃもを焼く

ししゃもは結構使いどころに迷う。

夕飯のメインとしては、ししゃもはなんだか頼りない。

 

美味しいんだけど、おつまみか朝ごはんくらいにしか出番がない。

だが今回は、メインは牡蠣ご飯。

 

ししゃもを焼いても、ししゃもに重い荷を背負わせずに済むはずだ。

 

だからここぞとばかりに出番を与えた。

 

メインには使いづらいけど、本当はししゃも、好きなんだよね。

 

ししゃもと牡蠣飯の献立

ししゃもと牡蠣飯の献立。

 

 

『伊勢物語』の魅力を力説!日本最古の歌物語に迫る!

古典の世界は美しい。

いつもそう思います。

 

日本の奥ゆかしさを感じさせる魅力的な人物。

古の言葉で綴られるからこそ美しい幽玄の世界。

 

その古典世界の中でもひと際輝きを放つのが六歌仙の一人、在原業平(ありわらのなりひら)

男性貴族の理想像として描かれ、美しい和歌を多く残すも、不遇な人物として書かれました。

 

今回は彼が主役の歌物語・『伊勢物語』を手に取って、この作品の魅力に迫りたいと思います。

 

 

 

『伊勢物語』は歌物語

『伊勢物語』は歌物語、つまり和歌を含んだ短い小話をたくさん繋げて作ってある作品です。

 

125個の文章からできており、登場する和歌は210首。

一つ一つの話が短いので作品全体でもそう長くはなく、短い作品の中に多くの和歌がギュっと詰まっています。

 

知名度も古典文学史上の影響も内容の面白さも日本最高峰レベルであることは間違いないので、日本人なら読んでおいて損はありません。

 

 

あらすじ

『伊勢物語』は、在原業平の生涯を物語風に書いたものです。

 

冒頭では元服(当時の成人式)後の様子が描かれます。

次に二条后との悲恋や東下りなどを、そして終盤には老人いなった在原業平の様子が描かれています。

 

伊勢物語の与えた影響

伊勢物語は現存する最古の歌物語です。

そのため、伊勢物語が後世に与えた影響も果てしない。

 

『大和物語』や『平中物語』、さらには『源氏物語』にも濃い影響を与えています。

また、能の代表作『井筒』『隅田川』の題材ともなっています。

 

さらに、直接題材にはなっていなくとも、伊勢物語に含まれる優れた歌を引用して他の作品に出てくることも珍しくありません。

 

源氏物語に与えた影響

源氏物語は古典作品の総本山ともいえる作品。

日本古典文学の最高傑作と言っても過言ではありません。

 

作者・紫式部の高い教養が随所に見て取れ、主人公・光源氏の名は日本人なら知らない人はいないでしょう。

 

物語の内容も素晴らしく、現代でも愛読する人は少なくありません。

 

そんな『源氏物語』のモデルとなったのが、『伊勢物語』。

主人公の特徴や物語の構成などにかなり多くの共通項が見られます。

 

 

 

もう一つの共通点が両作品の基本的な構図。

それは、高貴な生まれのモテモテでカリスマな主人公が、複雑な事情で貴族としての生活を送れず、数々の女性との恋を謳歌しながら徐々に政界に復帰するというもの。

 

これは両作品の骨組みで、共通点としては偶然とは言い難いものであることがわかると思います。

 

つまり、『源氏物語』は完全に『伊勢物語』をモデルにしているのです。

 

『源氏物語』にここまで濃い影響を与えていたことは、あまり知られていません。

 

主人公・在原業平の魅力

在原業平の人物像については上記で軽く取り上げました。

ここでは、もっと深い次元でその魅力を解説します。

代表的な和歌

伊勢物語は歌物語。

ならば、その魅力は実際に和歌に触れて感じてみるべきです。

 

伊勢物語の主人公で六歌仙のひとり、在原業平の詠んだ歌を見てみましょう。

適当に流し読みするのではなく、実際に声に出してみてください。

頭にスッと入ってくるはずです。

 

「ちはやふる かみよも聞かず 竜田川 からくれないに 水くくるとは」

 

『小倉百人一首』にも選出された名歌。

 

現代語訳)「神々の時代でも聞いたことがない 竜田川がもみじ色に水を染めている美しさなんて・・・。」

 

もみじが川に落ちているシーンを、「川が水を紅色に染めた」と表現しています。

そしてその美しさを、神々の時代、つまり日本書紀に描かれた八百万の神の時代にも見られなかった美しさだというわけです。

 

 

「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」

 現代語訳)この世に桜さえなかったならば、春をのどかな心で過ごせただろうに

 

春に咲き誇る桜の美しさに対する、これ以上ない賛辞です。

 

「忘れては 夢かとぞ思ふ 思ひきや 雪踏み分けて 君をみむとは」

現代語訳)現実を忘れて夢のようだ 積もった雪を踏み分けてまさか君に会うとは

 

忘れた、と言ってはいますが心の底では忘れられない女性に会った感動を表現した恋歌です。

 

「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身一つは元の身にして

現代語訳)月はあの日の月じゃないのか、春はあの年の春じゃないのか。ただ私だけが元のままで、世界は変わってしまったのではないだろうか。

 

在原業平の激しい動揺が伝わってきます。

高校時代から一人暮らしするまでの料理歴をまとめてみた。

10代で自炊を始めて、ほぼ毎日料理を楽しんでいる僕が、自分の料理経験をひたすらまとめてみます。

 

 

 

伊崎という人物

本題に入る前に、軽く自己紹介を。

『伊崎の快活日記。』について

こんにちは、当ブログ『伊崎の快活日記。』の管理人、伊崎です。

この記事を書いている2019年現在で20歳、一人暮らしの学生。

 

このブログの中心テーマは料理

日頃作った料理を記事にして、適当思ったことや考えたことなどを添えています。

 

毎日楽しく愉快に暮らしたい、そういう希望を込めて「快活日記」です。

 

料理に目覚めたのは18歳の時

実は僕が料理を好きになったのは結構遅く、18歳、つまり高校3年生のときでした。

受験勉強に飽きて何もすることがなくなった僕は、学校をさぼったりしていたので暇だったんですね。

 

だから、料理をすることにしました。

僕は幼いころから海の近くで育ったこともあり魚を食べるのが大好きでした。

地元で獲れる魚の美味しい食べ方も知っていました。

何度も食べたことがありました。

 

でも、自分で料理することはできませんでした

 

別にそれ以上の深い理由があったわけではありませんが、どうせ暇なので料理を初めて見ることにしたんです。

 

ちなみに高3で料理に目覚める前の実力はとっても悲惨です。

味噌汁も作れない、ご飯も炊けない、食材の保存方法も知らない。

 

ご飯の炊き方や味噌汁の作り方は、多分小学校か中学校の頃に家庭科で習っているはずですが、もちろん忘れています。

 

自分の性格的に、女子に任せていたんだと思います。

比較的女子と仲が良く、適当にさぼっても文句を言われないオトクなポジションを築いていたので。

 

そんなわけで、料理の仕方をほとんど知らないところから料理に目覚めるわけです。

 

料理を初めて最初の目標は魚を捌くこと

「実は、魚を捌けるんです」っていう人はなかなかいないと思います。

毎日料理をする主婦の人でもそういないでしょう。

 

釣り人ならともかく、一般的には魚を捌ける人は料理がかなり得意な人、というイメージを持たれるはずです。

 

当時の僕は料理の初心者だったわけですが、なぜか一番最初の目標をこの「魚捌き」に据えてしまいました。

 

地元が魚の産地だったので、捌けるようになっておきたいという地元愛もあるでしょう。

 

とにもかくにも、最初の目標が決まったわけです。

 

毎週末に魚を買って捌く日々

そこからは早かった。

毎週末に魚屋に朝から行って、その時食べたい魚を買ってくる。

 

もちろん魚の捌き方なんてわからないので、youtubeで捌き方を勉強していました。

 

最初に捌いた魚は、たぶんサンマだったと思います。

刺身用のサンマが三尾200円位で売られていたのですが、「へぇ、サンマって刺身で食べられるんだ」と興味を惹かれて買ったのを覚えています。

 

初めて捌いて刺身にしたサンマは、お世辞にも見栄えが良いとは言えませんでしたね。

でも、楽しかったです。

 

それ以降、サバやアジ、イカといった大衆魚から、タイやハマチ、アコウやスズキといったちょっと大きなもの、変わり種ではナマコやカツオ、アナゴなど、色々な種類を捌いていきます。

 

毎週捌くもんですから、かなりのスピードで上達していきました。

それと同時に、捌いた魚を料理する過程で、料理のレパートリーも増えていきました。

 

最初は刺身と煮つけと塩焼きがほとんどだったのですが、何度も料理するうちにそれじゃあ飽き足らなくなってくるわけです。

 

そこで、酒蒸しや洗い、唐揚げ、鍋など、ちょっと凝ったものを作るようになって、料理の奥深さにはまっていきました。

 

そう、僕の料理の上達は、常に魚料理が中心となっていたのです。

 

塩焼きや煮つけの経験はそのまま肉料理に活きますし、唐揚げなら揚げ物の、鍋なら野菜の下ごしらえなどの知識を身に着けることになります。

炊き込みご飯でご飯の炊き方を、潮汁や魚の味噌汁では汁物の方法を学びました。

 

教科書で学ぶのではなく、魚料理の実践の中で料理全体の知識、技術を習得していったのはよかったと今になって思います。

 

魚以外の料理も覚えるようになる

料理なんてなにもできなかった僕がこうして少しずつ料理ができるようになっていったわけですが、他の料理にも興味を抱くようになります。

 

肉料理や野菜料理、お菓子作りなど。

 

youtubeで料理動画を漁っては実際に作ってみる日々を送っていました。

料理の腕が上がるに連れ、偏差値が落ちていったことは内緒です。

料理始めてからは授業中ぼーっとする以外の勉強はしてませんでした、先生ごめんなさい。

 

まあ何はともあれ、料理が大好きになったってことです。

 

一人暮らしで料理を思う存分楽しめるように

受験も終わり、広島の大学に通うことになりました。

実家から出て初めての一人暮らしで、毎日自分の好きなものを食べていいわけですから、とても楽しかったです。

 

楽しかった、というか、今も楽しいです。

食べたものの写真を適当にTwitterにアップしていたら結構フォロワーが増えたので、こういうブログを作ったりもしました。

 

これからも楽しく『伊崎の快活日記。』を運営していきたいと思います。

【実体験】朝起き抜けに白湯を飲んだら調子が良いのでおすすめします。

こんにちは。

当ブログ『伊崎の快活日記。』の管理人・伊崎です。

 

忙しい現代人にとって最もつらい時間、それは間違いなく朝です。

できるだけ寝ていたい、でも準備はしっかりとしなければならない。

 

これは我々人間に課された試練であることに疑う余地はありません。

その試練を耐え抜くための究極の武器を、この僕がお教えしましょう!

(偉そうなことを言ってしまってますが、大学ない日は9時くらいまで寝てたりします)

 

それはずばり、白湯です。

白湯というのは、沸かしたお湯のこと。

 

 

それを起き抜けに胃に流し込むと、体が温まって、目が覚めるんです。

マジです、これ。

 

起き抜けの白湯の飲み方

 

僕が実際に毎日やっている方法を紹介しますね。

とはいってもとても簡単ですが、一人の人間が実際に行っている方法なので、医者が理屈ばっかり並べている健康本よりは全然マシだと思います。

 

朝起きて電気ケトルに水を入れ、沸かします。

(健康についてのサイトなどではやかんで一度沸騰させてから冷ましなさい、などと書かれていますが、あんまり気にしなくても大丈夫です)

 

沸かしたお湯を、ゆっくり飲みます。

 

色々調べた結果、ゆっくり飲むのが大事らしいのですが、僕の場合はアツアツのお湯を飲んでいるので勝手にゆっくりになります。

 

これだけです。

 

これだけで、朝の目覚めが全然違います。

 

白湯を飲んで実感している効果

白湯を飲んで何がいいかって、体が芯から温まるのがわかるんですよね。

お湯でゆっくり体温が上がっているのが分かります。

 

実は、夜寝てから起きるまで、人間の体温は下がるみたいです。

(逆に体温が下がった時に眠気を感じるらしいです。雪山で遭難したときや、お風呂上がりなど。)

 

その下がった体温を上げることで、人間が活動しやすい状態に戻す効果があるのだと思います。

僕のイメージですが、冬眠から起きてきて活動開始するクマみたいな。(適当か)

 

それと、これも医学的な根拠はないのですが、なんだか優しい気持ちになります。

あったかいお湯ってここまで人の心を豊かにしてくれるだな、と感心してしまいます。

 

白湯を朝に飲むのは最高におすすめ

 

これは僕が一年くらい続けている習慣です。

本当におすすめ。

 

電気ケトルにお湯を注いでスイッチを入れたら、ふとんに入りなおしてぬくぬくして、それから白湯を飲んでさらにぬくぬく。

 

これが本当に一日の生活の始まりの最高の習慣です。

 

僕は普通に夜にも飲んでいますが・・・夜寝る前に飲むのも心が落ち着いて寝付きやすくなります。

 

どうぞお試しあれ。

 

文学小説って面白い!その理由を3つ考えてみた!!

こんにちは。

『伊崎の快活日記。』、管理人の伊崎です。

 

皆さんは文学小説を読みますか?

 

僕は大好きなのですが、僕の周りで文学小説を読んでいる人ってあんまりいないように感じます。

 

というか、スマホゲームや他の娯楽が発達しすぎて、読書自体がマイナーな趣味になってしまったように感じます。

 

学生だけでなく、大人も本を読まなくなる傾向にあるみたいです。

 

それでも読書が好きな人は少なくないですが、その中でも文学好きの人、となるとさらに少なくなるでしょう。

 

日本は優れた文学小説や詩が多いのに、あまり読まれていないのはもったいないですよね。

全国のどこの本屋に行っても手に入るのに・・・。

 

そこで僭越ながら、このブログの管理人・伊崎が「文学って本当はこんなに面白いんだよ!」「面白いのにはちゃんとした明確な理由があるんだよ!」ということを主張してみたいと思います。

 

文学に惹かれる理由①文豪たちは基本的に天才だから

 

文学作品は面白い!

僕が自信をもってそう言い切れるのは、作家たちがとってもスゴイ人たちだから

 

頭がいい人達が書いた作品だから、読んでいて心を動かされるんです。

 

よく「文豪」って呼ばれる人がどんなに優秀か、皆さんご存知ですか?

 

夏目漱石や三島由紀夫は帝国大学(今で言う東大みたいなもの)の首席。

ちなみに芥川、太宰、森鴎外も東大生です。

 

文学作品が書かれていた時代って、そういった優秀な人材がこぞって文学に励む時代だったように思えます。

 

それが今なら、多種多様な趣味・娯楽がありますから、優秀な人がプログラマーになったり、ビジネスマンになったり、普通に就職したりと、分散されます。

 

現代にまで残る作品は、日本の英知の結晶ともいえるものです。

面白くないわけありませんよね!

 

文学に惹かれる理由②たくさんの作品があり、好きなものを選べるから

文学というと、なんだか古臭いような、長ったらしいような、小難しいような・・・

そんなマイナスな印象があるようです。

 

確かに、内容が抽象的な作品や、文章自体が難解なものは多いです。

僕も途中で挫折した記憶がちらほら・・・。

 

しかし、それだけで「文学は難しい!」と考えて文学を敬遠してしまうのはもったいない。

 

読みやすい作品もたくさんあります。

 

夏目漱石なんかは読みやすくていいですよ。

僕が文学に傾倒するきっかけになったのも漱石でしたから。

 

このブログ内の別の記事では、文学に興味をもった初心者、入門者におすすめの作品をリストアップしています。

 

 

また、単純に読みやすさだけでなく、思想的なものとか、文章のスタイルとか、作家によって印象が違ってくるのも文学作品の大きな特徴。

 

自分にあった作者に出会えば文学にのめりこむこと間違いなしです。

 

 

文学に惹かれる理由③他の人の感想や解釈を読むことができる

 

実際に読んでみた人の感想や感じ方を簡単に読めるのも文学作品ならでは。

趣味で読んでいる人の意見も、文学者の解釈も、ネットや本で読み放題です。

 

また、映画化されている作品も多いので「この映画監督はこの作品のテーマを~~だと感じたんだな」「このシーンを視聴者に見せたいんだな」という視点で楽しむこともできます。

 

これが現代小説ならなかなかそうはいきません。

現代の小説の多くは、誰もが同じ感想を持つようにできています。

意見が分かれるのはせいぜい「面白かった」「面白くなかった」というくらいです。

 

現代の作品は、小説でも映画でも大衆受けするものが支持されます。

そのためテーマや結末がはっきりしていて、ストーリーが作りこまれています。

予想だにしない大どんでん返しがあったり、

 

だから誰が読んでも面白く感じるんですけどね。

 

もちろん大衆受けする作品を作れることは普通に凄いことなんですが、感想をシェアする楽しさはやっぱり文学作品に軍配が上がります。

 

年齢や性別、キャリア、考え方など、読み手によって同じ作品を読んでいるはずなのにまるで違う感想を持っていることに気づくでしょう。

 

読んで終わり、ではなくて他者の感想をネットなどで読んでみるのも楽しみの一つですよね。

 

 

伊崎と文学について

最後に、このブログの管理人・伊崎の文学人生について振り返ってみます。

 

伊崎が文学に出会ったのは中学2年生の冬。

夏目漱石の『こころ』でした。

 

心臓をつかまれたような衝撃を受けたのを今でも覚えています。

 

それから夏目漱石をメインに読みつつ、合間合間に志賀直哉や三島由紀夫など、名前を聞いたことがある作家の作品を読み漁ります。

 

高校を卒業するころには夏目漱石の作品をすべて読んでしまうほどの漱石党となっていました。

 

当時は読む本の半数近くが文学小説でしたね。

 

そして現在、読むだけでなく魅力を伝えたい、自分の感想を残してみたいという思いから、文学をテーマの一つとしたブログ『伊崎の快活日記。』を元気に更新中です。

 

このブログを通して文学に触れよう!

 

この『伊崎の快活日記。』では、実際に読んだ本のあらすじや感想、また文豪の紹介など、文学に関わる記事を多く掲載しています。

 

「文学に興味あるけどどんな作品を読んだらいいのかわからない」

「自分が読んでみた本の伊崎なりの解釈を聞いてみたい」

 

という方には楽しんでいただけると思います。

 

このブログをきっかけに読書の楽しさを再発見してもらえたらこれ以上の感動はありません。

 

これからも応援よろしくお願いします。

【文豪解説】尾崎紅葉~『金色夜叉』を書いた明治のベストセラー作家~

『多情多恨』『金色夜叉』など、明治のベストセラー小説を生み出した天才・尾崎紅葉。彼が36歳で急逝するまでに文壇にもたらした功績は数多く、幸田露伴と共に「紅露時代」と呼ばれる一時代を築くなど、明治に最も読まれた小説家でした。

 

彼の作品は今でも読まれ続けており、特に彼の代表作『金色夜叉』に登場するお宮、寛一の名シーンは文学になじみのない方々にも広く知られています。

 

そんな尾崎紅葉の人生や文学的な偉業、代表作について詳しく本記事で解説します。

 

尾崎紅葉の文学人生

尾崎紅葉の文学者としての人生は短いものでした。

しかし、その短い人生を濃い密度で生き抜いた人でもありました。

 

帝国大学を中退した後、日本初の文学結社「硯友社」を発足し、「我楽多文庫」という雑誌を刊行します。

 

日本の伝統的な価値観、世界観を尾崎紅葉の天才的なセンスで写実的に描きぬいた作品を発表し作家として認められた後も、『多情多恨』『金色夜叉』といったベストセラーで人気はさらに高まっていきました。

 

ところが、幸田露伴と共に明治の文学界に大きな影響力を持ち、「紅露時代」と称されるなど、日本文学史上に大きな功績を残した大文豪・尾崎紅葉の人生は胃がんによって幕を閉じます。

 

享年37歳でした。

 

幸田露伴の代表作

先述したように、幸田露伴は「時代の顔」と言っていいほどのベストセラー作家。

 

代表作を選ぶのも難しいほどに彼の作品群は素晴らしいものですが、ここではこの記事を読んで「尾崎紅葉の小説を読んでみたい!」と思ってくれた人に向けておすすめを選んでみました。

 

いずれも手に入りやすく、また現代でもよく読まれている作品です。

 

『多情多恨』

リアルな恋愛をテーマにした小説です。

妻をなくした教授・鷲見(すみ)が、同居した親友の妻に惹かれるという設定。

妻を亡くした心の傷が癒え、新たな女性に心惹かれる過程の描写が高く評価されています。

 

現代小説に多いドラマチックな展開ではなく、実際に起こりそうな出来事をテーマにしているので退屈しそうに思うかもしれませんが、地の分の描写力こそ尾崎紅葉の特徴でもあります。

 

『金色夜叉』

熱海の貫一、お宮の像でよく知られる『金色夜叉』

連載当初から大人気になり、明治以降も映画化、ドラマ化を繰り返している名作です。

 

それほどまでになじみ深い『金色夜叉』とはどういった話なのでしょうか。

 

親に先立たれた貫一は、引き取られた先の鴨沢家の娘、お宮と結婚する予定でした。

しかし、かるた会で富山銀行の跡取り息子・富山唯継に見初められたお宮は、お金に目がくらみ、富山家に嫁ぎます。

 

お宮に裏切られた貫一は人を信じられなくなり、高利貸しとして生きていくようになります。(題名の「金色夜叉」とは、恐らく金に魂を売り、鬼となった貫一のことを指しています。)

 

裏切ったお宮も、その後破滅の道をたどります

 

 

この作品には、後々まで語り継がれる名場面があります。

 

熱海でお宮と貫一が邂逅する場面です。

貫一を捨てた言い訳を聞かされ、お宮への恨みの言葉を述べて蹴り飛ばし、貫一は去ります。

 

お宮は後に後悔し、貫一に詫びますが、一度裏切られた貫一はお宮を拒絶します。

その後貫一は夢を見ます。

お宮が貫一に詫びながら、自身の喉を刺し、命を絶つ夢です。

そして貫一は、ただ夢の中のみでお宮を許すのです。

 

 

この『金色夜叉』は、尾崎紅葉の最後の作品です。

この作品を執筆途中に胃がんで没したからです。

 

しかし尾崎紅葉が最後に書き残したこの『金色夜叉』は、未完にも関わらず、現代の僕らにもお宮と貫一の悲劇を伝え続けています。

 

共に「紅露時代」を築いた幸田露伴との関係

 

『多情多恨』『金色夜叉』など、数々ベストセラーを世に放った尾崎紅葉。

『五重塔』で知られる幸田露伴。

 

彼らは同じ時代に生き、一つの偉大な時代を作りました。

それがいわゆる「紅露時代」です。

 

彼らは当時を代表する作家だったという点では変わりませんが、文学作家としては大きくスタンスが違います。

 

幸田露伴は漢文のような格調高い文体で理想主義を貫きました。

それに対して、尾崎紅葉は読みやすい文体で会話文も多く、人間の心理を情緒豊かに描き上げました。(まあ『金色夜叉』などは古文みたいな文章ですが...)

 

この対極的な二人が同時代に活躍した「紅露時代」は、やっぱり凄いですね。

当時、リアルタイムで小説を読んでいた人達は本当に幸せ者ですね。

 

 

まとめ

ここまで読んでいただいてありがとうございます。

尾崎紅葉という人物の素晴らしさが伝わっていたらいいのですが・・・

 

まとめると

 

尾崎紅葉とは

 

  • 『多情多恨』『金色夜叉』を書いたベストセラー作家
  • 幸田露伴と共に「紅露時代」を築いた
  • 人間の心理描写を、近代的な手法で描くことに成功した作家

 

です。

 

皆さんもぜひ読んでみてください。

【文豪紹介】山田美妙~「我楽多文庫」や「硯友社」を設立した作家~

山田美妙、という作家を知っている人がいたら、かなり文学に通暁している方だと思います。

 

それほどまでに彼はマイナーで、国語の授業でも、本屋さんでもめったにお目にかからない作家。かろうじて国語の資料集に載っているかもしれない程度です。

 

尾崎紅葉坪内逍遥と肩を並べ、当時の売れっ子作家だった山田美妙。

しかし、素行の悪さから世間の反感を買い、次第に拒絶されていきます

 

それが原因で現代まで名前が残せなかった、とまでは断言できませんが、もしそうであれば彼は「世間に葬られた作家」といえるかもしれません。

 

なんとなくミステリアスな雰囲気が出てきましたね。

ここからはいよいよ、彼の人物像や作品について解説していきます!

 

山田美妙の人物像、生涯

山田美妙は1868年、「山田武太郎」という名前で生まれました。

尾崎紅葉や夏目漱石と幼馴染であり、また周りに文学の素養を持つ大人が多かったことから、幼い時から文学になじみのある生活を送っていたようです。

 

その後は友人の尾崎紅葉や石橋思案たちと「硯友社」という文学結社を立ち上げ、「我楽多文庫」という雑誌を創刊しました。

 

『武蔵野』『夏木立』などの名作を世に放ち、作家として大きな名声を得ることになります。

 

一見順調に作家街道を歩んでいったようにも見えますね。

しかし彼は文学界の問題児でもあったようです。

 

茶屋の娘に子を産ませ「作品の題材にしたかった」と言ってみたり、挿絵に裸体の女性を載せたりと問題続きで、徐々に世間から受容されなくなっていきました。

 

作家としての素質十分、しかし自身の性格が原因で自滅してしまったというわけです。

 

文学活動を簡単に解説

山田美妙の作品や作風、文学史上の功績などは現在あまり知られていません。

しかし、美妙が活躍した当時は彼の作品は大人気であり、現在の彼の境遇はあまりに耐えがたいものです。

 

ここからは彼の生涯の活動を掘り下げつつ、「作家としての山田美妙」を追っていきます。

 

硯友社を設立する

彼の文学活動のプラットフォームとなったのが、彼が10代で設立した「硯友社」という文学結社です。

 

創立メンバーには『金色夜叉』『多情多恨』といった大ベストセラーを発表した尾崎紅葉の名前もありました。

 

我楽多文庫を刊行

「我楽多文庫」は山田美妙や尾崎紅葉が中心となって刊行していた雑誌です。

小説、詩、短歌、川柳といった多様な作品が掲載されました

 

『南総里見八犬伝』を著した滝沢馬琴(曲亭馬琴)の作風を模した作品が掲載されたり、当時は真新しかった言文一致体で書かれた作品が掲載されていたりと、なかなか尖った雑誌だったようです。

 

『武蔵野』を出発点とする言文一致運動

知名度では劣りますが、山田美妙は「二葉亭四迷」と並んで言文一致の先駆者と呼べる存在です。

 

言文一致体とは、「だ、である」という文体で書かれた作品のこと。

普段使っている話し言葉で書かれているので、文字さえ読めれば教養がなくても小説を楽しむことができます。

 

当時は書き言葉と話し言葉がまだまだ区別されていましたが、二葉亭四迷や山田美妙によってその垣根は壊され、新時代の扉が開かれます。

 

二葉亭四迷は小説『浮雲』で、山田美妙は小説『武蔵野』で、それぞれ言文一致の作品を発表しました。

 

少しだけややこしいのですが、『浮雲』は日本初の言文一致の小説、『武蔵野』は日本初の言文一致の新聞小説です。

 

つまり、『武蔵野』は新聞に掲載された小説の中では初めて、というわけ。

 

「なんだ、新聞小説としては初、ってそんなのインチキじゃないか」と思われるかもしれませんが、この頃はまだ明治時代。

 

今のようにkindleで本なんて読めませんし、発達した物流もありませんから、本屋もあまり品ぞろえはよくない時代。

 

その点、多くの人の目に触れる新聞小説というのはかなり存在感が大きかったんですね。(ちなみに、夏目漱石の「吾輩は猫である」をはじめ、多くの有名作品が新聞小説でした。)

 

そんな時代に、初の言文一致の作品を掲載したわけですから、当時の読者からすれば「毎日の習慣で新聞を読んでいたら、なにやら読みやすい文章の小説が載ってるぞ。」という衝撃があったかもしれませんね。

 

そういう意味では、山田美妙って結構すごいでしょう。

 

山田美妙の代表作

ここまで、山田美妙の作風や人物像について詳しく解説してきました。

 

彼が言文一致の使い手で、文学の世界で名声を得た人気作家であることはお分かりいただけたかと思います。

 

しかし、彼はあくまでも作家。重要なのは「書かれた作品は実際に読んでみて面白いのか?」という点です。

 

ここからは学問的で難しいことは抜きに、気楽に語っていきます!

 

代表作『武蔵野』

あヽ今の東京、昔の武蔵野。今は錐も立てられぬ程の賑はしさ、昔は関も立てられぬほどの広さ。今仲の町で遊客《うかれお》に睨付けられる烏も昔は海辺四五町の漁師町でわづかに活計《くらし》を立てヽ居た。今柳橋で美人に拝まれる月も昔は「入るべき山もなし」、極の素寒貧であッた。実に今は住む百万の蒼生草《あおひとぐさ》,実に昔は生えていた億万の生草《なまくさ》。

 という書き出しで始まる『武蔵野』。

 

現代の僕らからすれば決して読みやすい文章ではありませんが、ほぼ同時期に公開された二葉亭四迷の『浮雲』と比較すれば随分読みやすいでしょう。

 

ただ、話の内容や雰囲気的な面では、どうにも文明開化前の戯曲的、芝居的な面が抜け切れていないように感じます。

 

また、室町時代の内乱を題材にしている分、明治の作品でありながら時代背景は室町時代なので一層なじみにくいかと。

 

現代の僕らが読みこなすには、読み手の教養や馴れが不可欠かもしれません。

 

ただ、山田美妙が『武蔵野』を発表した当時は大衆に受け入れられたようで、弱冠19歳で書き上げたこの作品で一躍流行作家の仲間入りを果たしました

 

 

 

【私見】山田美妙という作家について

代表作『武蔵野』で名誉名声を手にして、文壇に登場した山田美妙。

しかも新聞小説初の言文一致小説というおまけつき。

 

間違いなく、彼は天才なのでしょう。

しかしその後努力を怠り、世間の反感を買って文壇から孤立。

黙々と努力を続けてきた尾崎紅葉に大きく水を空けられてしまいました

 

因果応報、と言ってしまえばそれまでですが、「もし真面目に文筆活動を続けていたら...」と思うと少し残念にも思えます。

 

正直彼の作品はあまり読まれておらず、ネットでさえ簡単には手に入りませんが、もし気になったら彼の作品を読んでみて下さい。